〜妄想からバンドへ〜 伴瀬朝彦

 

 

ホライズン山下宅配便は、活動を停止します。

あるいは、こんな報告は不必要かもしれません。

多くのバンドがそうであるように、「休止宣言」、「解散宣言」という文字の裏には、「復活」という文字もべったりと貼り付いてしまっているからです。

さらに、4人だったり2人に減ったり8人に増えたり、特に何も言わず活動を休止した1年間の後、復活ライブなんて言っていきなり活動を再開したりしてるバンドのメンバーから、改まってこんな報を発することは、ひどく滑稽なことのように思われます。

がしかし、先に行われた九龍ジョー氏によるホライズンインド前インタビューにおいて、いわゆるバンドの危機が明るみになったことにより、その後の経過報告をする必要性 を強く感じました。

その報告は、インドにおいて、創作、あるいはそれに向かう新たなアクションを起こし、ホライズン山下宅配便として何らかの形で発表することで成される、というのが理想でした。

しかし、話し合いを重ねれば重ねるほど、わたしの気持ちは休止の道へと進んでいきました。

この報告を、黒岡まさひろではなく、わたしがするのは、4人の中で一番古いメンバーで、今に至るまでの経過を説明するのに適しており、インドでの話し合いにおいて「やめようか」という言葉を口に出したのもわたしだからです。

ここからは、バンド立ち上げ当初まで話を遡っていきます。

15〜16年程前、「ライダーキック」というガレージパンクバンドを立ち上げた田中恭 平という男がいました。 

そこに高校時代からの友人である伴瀬がボーカリストとして迎え入れられ、ホライズン山下宅配便の原形ができたのです。

メンバーチェンジを繰り返しながら活動をする中、たまにこのガレージパンクバンドのライブを見に来ていたのが黒岡まさひろ。持ち前の衝動力をもってステージに乱入、メインボーカルを食いまくる強烈、かつシュールなパフォーマンスを幾度となく見せつけました。そのころライダーキックとしての方向性に行き詰まっていたことも踏まえ、一度黒岡をメインボーカルに迎えてライブをしたところ、予想以上の手応えをつかみ、そのままフロントマンの座に落ち着いたのです。

「黒岡をメインに据えてやったらきっとおもしろい」

リーダー 田中は賛成、その後の活動を楽しみつつも、内心は

「伴瀬のうたがメインのバンドを」

と常に考えていました。

もちろんわたしの中でも、メインボーカルでいたいという気持ちはありました。

このふたつの相反する欲望を叶えるために、ライダーキックは黒岡をメインとする「ホライズン山下宅配便」、伴瀬ボーカルをメインとする「アナホールクラブバンド」のふたつに枝分かれしました。

大学入学当初に知り合った黒岡と伴瀬は、宅録で膨大な数の曲を作っていたため、その経験のもと、どんどんホライズン用の新曲を量産していきました。このふたりの共作こそが、ホライズンの「核」です。

一方アナホールクラブバンドは伴瀬が作る曲を中心に唄を聴かせる方向に固定してい きました。

枝分かれした後も、ふたつのバンドでしばらく活動していたリーダー田中は、無念にもホライズンを脱退(後にアナホールクラブバンドも脱退)。

ここでひとつの分岐点をむかえます。

倉林はすでにホライズンのドラマーとして固定していましたが、田中と入れ替わり、引き抜きに近い形で、ホライズンライブを何回か見に来ていて、ホライズン山下宅配便というバンドに好意を持ってくれていたいっそんをベーシストとして迎え入れ、今の4人編成となりました。

創始者田中がいなくなったことにより、誰が言うでもなく、ホライズンのリーダーは自然と黒岡になっていました。

この固定メンバーでライブ回数を増やし、勢いも増してきたかのように見えましたが、倉林、い っそんは脱退します。これは9年前のこと。

黒岡伴瀬による「共作の更新」のペースがみるみる落ちてきて、「何かおもしろいことを」という単純で貪欲な空気を醸し出せず、もやもやし始めたところをいち早く察知するのはやはりメンバーであり、そのまま倉林、いっそんの脱退に繋がっていきました。

現在の状態は、ほぼそれに等しいといっていいです。

先のホライズンインド前インタビューにて、いっそんが脱退をするという意思表明をし、それに関わる話し合いについて少し触れていますが、つまり、元を辿れば黒岡伴瀬の共有意識のずれに起因しており、このまま創作が停滞し、先に進まないのであれば、ということなのです。

ただ前回の倉林いっそんの脱退後は、黒岡と伴瀬ふたりのホライズンとして新たにスタートを切ることができました。再び新曲を量産し、ゲストプレイヤーも呼びたいだけ呼び、自由な活動をする中で、「また面白そうなことを始めた」と感じた倉林いっそんは、ゲストプレイヤーという形から演奏に復帰し、自然とホライズンメンバーに戻っていました。

前回と明らかに異なる点は、今回、黒岡伴瀬間の 「ずれ」が、わたしの中ではっきりと感じられてしまったということです。

少し前からこの「ずれ」をいささか感じてはいたものの、4人のホライズンならば、こんな問題など、度重なるライブと気合いで打ち消すことができると思っていました。

いわば、4人の国民から成る民主主義国家スタイルによってです。

倉林、いっそんの出すアイデアが、それぞれに独創的で、刺激的なものであるからこそ成り立つスタイル。

4人の共作、あるいは黒岡倉林の共作、あるいは黒岡いっそんの共作などもでき、ライブでもコンスタントに発表してきました。今までにない手応えをつかんだものも事実。

形は何でもよかった。

しかし燃料だけは黒岡と伴瀬が共有して蓄えているべきだっ た。軽油なら軽油。レギュラーならレギュラー。同じ種類のものを。

黒岡伴瀬が共有して蓄えていた軽油で10万キロ走れたホライズントラックは、いま現在、黒岡の軽油に、伴瀬がレギュラーを混ぜてしまい故障気味になり、いっそんが身銭を切ってハイオクを足し、さらには倉林が石油を投入するという荒療治で何とか走れている、走ることは走るが誰もハンドルを握れない、といった状態なのです。

伴瀬がホライズンのメインボーカルとしての黒岡を、信頼できていないということ。(黒岡のポテンシャルに対する否定ではありません。)

これは最近のわたしのソロ活動、他の音楽ワークの経験等により、ホライズン黒岡に求める要素が増えてきてしまったことも大きな要因です。

も ともと何の思想もなく、ふたりで居るときに沸いてきた痛快な妄想を形にしてきただけ。

意味を考える前に曲はどんどん生産され、エネルギーとなって放出されていきました。

そうではない今。

もちろん年を重ねれば手法も変化していきます。

その時々で、よりベターな方法を模索しつつ進むことこそが大事だと思っていますが、我々はいつしか、バンドをひとつのショーケースに収めようとしてしまっていたのかもしれません。

「われわれはこういうバンドです」

と人様に紹介できるように。

「何をしでかすか分からないオーラ」が最大の武器である黒岡。

「ほら早く、何をしでかすか分からないオーラを出して」

と求められてほいっと出せるわけがな いのです。

少し論点がずれましたが、結局たどり着くところは「黒岡伴瀬の共有」で、それがホライズンの「核」であり、それ以外の要素はこれに代わり得ない、ということをわたしはインドで確信しました。

倉林、いっそんはそれをずっと知っていました。だからこそ、ここまで長く共に活動できたのだと思います。

 

最後に。

この文章を書くことを希望したのはわたしであること、メンバー全員が活動停止を合意したということ、そして黒岡、倉林、いっそん、それぞれ別の観点からの思惑もあるということをご理解いただいた上で、解釈してもらえたら幸いです。

 

 

 

 

ホライズン山下宅配便  伴瀬朝彦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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